《由緒沿革》
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当山は、正保四年(1647)正月、源蓮社信誉良残厭東大和尚によって建立されました。
厭東和尚は和歌山県出身で小林春光の二男といわれ、明歴二年(1656)八月十日に寂したと伝えています。

二体の阿弥陀如来

何時の頃か同じ地にあった故身庵と合併したらしく、本尊がそれぞれ阿弥陀定印と説法印(転法輪印)を結ぶ二体の阿弥陀仏で、今でも二体並べて安置されています。

印契

何れが往生院・故身庵の本尊であったか長らく判明しませんでしたが、近年天井修復のおりに向かって右の阿弥陀仏の蓮台に故身庵建立者の名が記されていることが発見されました。

当山は四方を山に囲まれ、平岡の集落を見晴らせる位置にあり、また全国有数の景勝地である高雄・嵯峨も近く、その豊かな自然環境は四季折々に美しい姿を見せてくれます。

所在地京都市右京区梅ケ畑上ノ町3
宗 派浄土宗
本 山総本山知恩院

《故身庵について》
往生院建立とほぼ同時期、光蓮社然誉故観良曜学洞和尚によって開かれました。
学洞和尚は福島県の出身、幼少の頃より大沢の円通寺、江戸大念寺に学び、のち京都の一條智恵光院に住しました。晩年は隠遁を好み、洛北市原に静林庵を建立、また大住に恵心庵を再興し、寛文五年(1665)二月に恵心庵において寂したと伝えられています。

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